高校受験の失敗

当時、私が通っていた中学校のすぐ裏に県立の普通高校があったんです。

距離も近いですし、仲間も多くがそこに進学するということもあって、当然のようにその高校を受けようと決めていました。

ところが先生からとても厳しいお言葉を頂戴しました・・・。

「お前の成績じゃまず無理だろう。違う高校を考えなさい」

ショックでしたね。でも、私は持ち前の楽観主義と前向き思考で(今思うとカウンセラー向きだったんですね)危険を承知で受験したのです。 しかし奇跡がそう簡単に起こるわけは無く、結果は不合格でした。 本当に大変だったのはその後です。

もちろん県立高校の試験は、全て終わっていました。
受験する高校探しに一苦労し、ようやく東京の私立高校に合格して通学することになりました。しかし・・・入学して分かったことは、その高校は当時かなりの悪高校だったことです。高校時代についてはあえて触れず、ご想像にお任せします(笑)

柴田スタイルさて、時は一気に流れて大学時代です。
日大の法学部新聞学科に在籍しました。新聞学科というの聞きなれないでしょうし、ひょっとしたら「柴田は文才があるのか?!」などと考える方がいらっしゃるかもしれません。知り合いならみんな知っていますが、正解はその反対です(笑)文章を書くのは大の苦手でした。どうして新聞学科に入学したんでしょうね?自分でも良く分かりません。何かの縁なんでしょう。
さて、在学中は広告研究会やゼミに入り結構楽しく過ごしましたが、3年生~4年生の頃日大から学費値上げ問題で大学闘争が始まり、学校校舎はロックアウト、神田神保町は催涙ガス、加えて大学闘争の色々な大学に飛び火して、最後は東大の安田講堂となりました。友人には警察に捕まったのもいましたが、私は何とか難を逃れ、無事卒業できました。

しかし、この直後、二回目の挫折と幸運に遭遇することになります。

就職

新聞学科に在籍はしたものの、文章が書けないので新聞社は断念。広告研究会に居たこともあって広告業界を志望しました。そこで、中程度の企業として東急エージェンシーという会社があり受験しました。(今ではとても大きな会社ですね)結果は、一次の筆記試験でアウトでした。広告業界も断念せざるを得なくなりました・・。
その後、学校の就職掲示板の求人会社を覗きに行き、東急航空㈱という海外旅行専門の会社を見つけました。東急エージェンシーで落とされたから同じ東急に入ってやろうと受験、一次の筆記試験は、見事山が当たって合格、身体検査も通って面接試験に臨むことになりました。

アポロ余談ですが、筆記試験の山が当たったと書きました。
実は大学時代4年生まで新聞英語という科目があり、講義毎にジャパンタイムスの社説を読んでいたのです。その年(1969年)は、アメリカのアポロ計画で月面着陸に成功した年で、ジャパンタイムスの社説にもその記事が大きく掲載されていました。
そこで記事を英文和訳にも和文英訳にも対応できるくらいに覚えて受験に望みました。私は、問題用紙を見て一人ほくそ笑んでしまいました。


さて、面接試験ですが試験官5名に対して受験者3名で行われました。
一般的な質問に答えるという通常の面接の後、突然英語での質問が始まったのです。
「良かったな、柴田!ついてるじゃないか!」そう思ったあなた、それは大きな間違いです。

当時の私は、英会話はまるで出来なかったのです。
私に順番が回ってきたとき「すみません・・英語は話せません・・」
そうつぶやくので精一杯でした。

これで一巻の終わり…

帰りのバスで、たまたま同じ面接を受けていた男性と一緒になったのですが、彼は英会話試験も見事に答えていたので満足げな表情が印象的でした・・。
私は、自分の受験動機の不純さを身にしみて感じていました。

ところが、奇跡が起きたのです!
何を間違えたのか、私に「合格通知」が舞い込んできました。