柴田徇也生まれる

柴田 徇也:昭和22年(1947年)9月
埼玉県熊谷市で3人兄弟の末っ子(次男)として生まれる

父は、公務員で書家、母は、専業主婦という極めて普通な家庭に育つ。

柴田Style末っ子ということもあり、かなりわがままで目立つ存在だったようです。
残っている写真を見るとお遊戯や楽器の発表会ではいつも真ん中といった具合です。

小学校時代は、勉強はそっちのけでとにかく良く遊びましたね!
学校から戻るとランドセルを放り出してベーゴマやメンコ、ソフトボールに近所の悪ガキと興じていました。
今思うと評判は悪かったかもしれないなぁと思います(笑)

一方で父親が書家ということで、私も書道を習っていました。字が綺麗だといわれて得をすることが多いのですが、これもひとえに父のおかげですね。

さて、中学校時代はというと、今で言う軟式テニス部に入り3年間みっちり活動をしてました。
その当時はスポーツといえば根性論の時代で、入部したころはあけてもくれても素振りと玉拾い…。その中でも拷問のようにきつかったのは「うさぎ跳び」でした。

現代のスポーツ医学では「アキレス腱を痛めるから絶対にやってはいけない」のようですが、この当時は三度の飯よりも当たり前にやらされていた記憶があります(笑)
私は今(60を越えました)でもサッカーというハードなスポーツをしていますが、それが出来るのもこの頃の「うさぎ跳び」のおかげかもしれないですね。
それに、この時に先輩や後輩たちとの付き合いの中で人間関係というものを学びました。

柴田Style結果として、3年最後の市大会で良い所まで行ったのですが、残念ながら県大会には出場とまではいけませんでした。しかし、とても充実した3年間でした。

さて、この後、私は、大きな挫折に遭遇します。