このお葬式は何か変だ。いったい何が変なんだ?!
「どうしてなんだろう?いったい何が変なんだ???」
この疑問は程なく解決しました。
やはり旧知の仲であった友人が、おもむろに私に近づき、こう言ったんです。
「・・・菊の花に囲まれた遺影を見てると何だか別人みたいだよな・・・」
「!?」
そうなんです! 生前の彼を知るものからすると、そのお葬式がまったくの異質なものだったのです。
「何故、お葬式は誰でも同じなんだろう?」
目の前に広がる異質な世界を前に、
私には自然とそんな疑問が浮かんできました。
人間、顔かたちも違えば、歩んだ人生も違う…趣味も違えば、楽しみ方も違う…にもかかわらずお葬式は全てが同じ… 何か変だと感じたのは
“彼らしい弔い”が出来ていなかったからじゃないか?
故人への最高の弔いとは故人らしく最後まで見送ってやることにあるんじゃないだろうか?
まさにここに、いわゆる家族や親戚縁者との多くの“しがらみ”や葬儀業者のスケジュールに沿って執り行われる「一般的な葬儀」に私が違和感を持った原点があるように思ったのです。
葬式は、 “故人が主演する最後の別れの舞台” であるべきだ。
それによって初めて、残された人々の“悲しみの清算”になるのではないだろうかと。 だからもっともっと“自由な発想”であってもいいはずだ!と強く感じたのです。
ですから、その後の行動は非常にスムーズでした。